【PAT】科学的ソフトウェア設計:科学的思考を応用した事例研究サムネイル画像

科学的ソフトウェア設計:科学的思考を応用した事例研究

Andrea Turzo

Andrea Turzo

化学者であるあなたは、科学的手法を指針として生きています。あなたの世界は、仮説、反復的な最適化、そして厳密なデータ駆動型の検証で成り立っています。確かな証拠なしにリード化合物を進めることはなく、本能的にシステムを分析して、その根底にあるメカニズムを理解しようとします。

次に、あなたが日々使用しているソフトウェアを思い浮かべてください。たとえば、ELN(電子実験ノート)やデータ解析プラットフォーム、装置制御のインターフェースなどです。
使いにくく、非論理的なデザインに苛立ったことはありませんか?
あるいは、直感的で完璧に感じるデザインに感動したことは?

あなたが感じているその違いは、User Experience(UX)デザインの成果です。
一見すると「感覚的」または「美的」な分野のように見えるかもしれませんが、実際には厳密なUXデザインは応用科学であり、化学と深い方法論的な共通点を持っています。

ここで扱うのは、色やフォントの話ではありません。
実証的な研究、仮説の検証、そして複雑なシステムの中で望ましい結果を導くための体系的な最適化です。その「システム」とは、他ならぬ人間の心なのです。

化学者の視点からUXデザインという科学を紐解き、それがケモインフォマティクスソフトウェアの設計にどのように応用されているのかを探っていきましょう。

scientific software design user experience, UX Marvin, Design Hub

科学的手法:共通する基盤

新薬の開発とデジタル製品の開発は、本質的にはどちらも同じく反復的で科学的なサイクルに従っています。

共通する科学的原則 創薬初期段階での対応例 UXデザインでの対応例
課題の定義と検証 標的の特定と検証:このタンパク質は本当に疾患の病態の中心なのか?「創薬可能」なのか?この初期段階での検証は、誤った前提に基づいて莫大なコストを無駄にすることを防ぐ上で極めて重要です。 ユーザーリサーチと課題の定義:ユーザーの根本的なニーズや非効率性は何か?それは本当にターゲットユーザーにとって重要な問題なのか?入念な事前調査は、実際には存在しない問題のためのソリューションを作ってしまうことを防ぎます。
仮説の生成 ハイスループットスクリーニング(HTS)およびリード化合物の創出:膨大な化合物ライブラリをスクリーニングしたり、計算モデルを用いて、仮説に基づく数千の潜在的ヒット化合物を生成します。 アイデア創出とコンセプト開発:定義されたユーザーニーズを基に、チームでのブレインストーミングやスケッチ、ワイヤーフレーム作成を通じて、多様な設計ソリューションを生み出します。
反復的改良と最適化 リード化合物の最適化(SAR/QSAR):リード化合物の官能基を体系的に修飾し、それぞれのアナログを評価して、活性・選択性・ADMET特性を最適化します。 プロトタイピングと反復:低解像度のスケッチからインタラクティブなモックアップまで、実際にテスト可能なプロトタイプを構築し、ユーザーからの実証的なフィードバックに基づいて使いやすさ・効率・明瞭さを最適化します。
実証的検証 前臨床および臨床試験:安全性と有効性を検証するために、より複雑な生体システム(in vitro(体外試験)、in vivo(体内試験)、ヒト)で段階的かつ厳密に行われる試験プロセスです。 ユーザビリティテストおよびA/Bテスト:実際のユーザーを対象に、制御環境または現実的なシナリオでデザインの有効性を検証する一連の実証的研究手法です。

反復的最適化

反復的最適化における類似性は、特に顕著です。

化学者が行う構造活性相関(SAR)研究は、まさにUXの反復サイクルの本質を体現しています。化合物のアナログを合成し、試験し、データを解析して、その修飾が望む特性を改善したかを判断します。

UXデザイナーも同様に、インターフェース要素を変更し、ユーザーにテストを行い、その行動を分析して、変更によって作業時間が短縮されたか、理解度が向上したかを確認します。
いずれも体系的でデータ駆動型の最適化ループであり、複数の特性間で最適なバランスを見出すことを目的としています。

Design Hub における反復的最適化の事例

image1

Design Hub スプレッドシートの初期バージョンでは、テーブル上で列をドラッグ&ドロップして並べ替える機能を実装していました。当時はこの方法でユーザーのニーズを十分に満たしており、小規模なデータセットでは問題なく動作していました。

しかし、アプリケーションの進化に伴い、新機能の追加によって利用可能な列が増えると、横方向のドラッグ&ドロップ操作は非効率で使いにくくなりました。ユーザーは列を長距離にわたってドラッグしなければならず、ユーザビリティテストでも、多数の列を管理する際に操作性が低いことが確認されました。

image1
この問題を解決するために、新しいインタラクションモデルを導入しました。テーブル内での横方向のドラッグ&ドロップではなく、専用のサイドパネルで縦方向に列を並べ替えられるようにしたのです。この変更により、列の並べ替えに必要な操作距離が大幅に短縮され、大量のデータ列を扱う際の操作性とコントロール性が大きく向上しました。

「ブラックボックス」に対する設計:生物学的システムと人間の認知の比較

両者に共通する深い課題は、それぞれの対象システムが「ブラックボックス」であるという点にあります

化学者は、生体内のあらゆる分子間相互作用を直接観察することはできません。化合物を投与し、その結果として現れる全体的な出力――細胞生存率、受容体結合、動物の行動――を観察し、そのデータから内部の機構や経路を推測します。

UXデザイナーも同様に、ユーザーの心の中を直接見ることはできません。彼らはクリックや操作経路、完了率、視線の動きといった外的行動を観察し、そこから注意・記憶・意思決定・フラストレーションなどの認知プロセスを推測します。

この課題を解くために、UXデザイナーは勘や感覚に頼るのではなく、認知科学の原理――人間のインタラクションにおける「物理化学」に相当するもの――を基盤にしています。
これらの認知的「法則」は、人の脳の自然な処理傾向に沿った、直感的に使いやすいインターフェース設計を可能にします。

ヒックの法則

ヒックの法則では、選択肢の数や複雑さが増えるほど、意思決定にかかる時間が長くなるとされます。そのため、50個のパラメータを一度に表示するよりも、5つの主要項目に絞ったシンプルなパネルの方が、ユーザーにとって理解しやすく効率的です。つまり、重要なのは「認知的負荷を減らす」ことです。

ミラーの法則

ミラーの法則では、短期記憶に保持できる項目数はおよそ7つに限られるとされています。
したがって、多段階の合成プロトコルは、長文を一画面で見せるよりも、タブ形式でステップごとに分ける方が、ユーザーにとって処理しやすくなります。

Design Hub におけるミラーの法則の例

image3

比較チャートに表示する化合物の数を最大7つに制限している理由のひとつは、ミラーの法則(Miller’s Law)に基づいています。この法則は、平均的な人が作業記憶に保持できる項目数はおよそ7±2であるとしています。したがって、この範囲内に化合物の数を抑えることで、ユーザーは情報をより効果的に処理・比較でき、認知的過負荷(cognitive overload)を防ぐことができます。

ゲシュタルトの原理

ゲシュタルト心理学の原理(たとえば「近接性」や「類似性」)は、私たちの脳がどのように視覚情報を自然に構造化するかを説明するものです。これは、官能基を一貫したラベルで表記することや、グラフ上で関連データをグループ化して傾向を可視化することと同じ発想です。

UX分析ラボ:化学者のためのリサーチ手法ガイド

これこそが、UX(ユーザーエクスペリエンス)がその科学的厳密さを真に発揮する領域です。主観的な意見ではなく、現代のUXは多様な分析ツールで収集された実証データに基づいて設計・検証されています。

in vitro アッセイとしてのユーザビリティテスト

この手法は、UX検証における中心的な役割を担っています。

ユーザー(システム)は、試験化合物にあたるプロトタイプを用いて、制御された環境下で特定のタスクを実行します。研究者は、タスク成功率、所要時間、エラー率などを観察・計測し、定量的に評価します。

つまりこれは、特定条件下でのデザイン性能を直接的に検証する実証的テストなのです。

Marvin におけるユーザビリティテストの例

image4

私たちのケースでは、ユーザビリティテスト中に特定された課題をもとに、Marvin の既存機能を改良しました。具体的には、繰り返し単位(repeating unit)のインデックスが一部のケースで表示されないという問題があったため、インデックスをより効果的に再配置できるように機能を改善しました。

無作為化比較試験(RCT)としての A/B テスト

これは、おそらく最も直接的に科学的手法と対応するUXの検証手段です。

A/B テストとは、ユーザーを無作為に2つのデザインバージョンに割り当てる制御実験であり、たとえば「A」は従来のデザイン(対照群)、「B」はボタンの位置や色を変更したデザイン(変化群)といった構成です。コンバージョン率などの主要指標を測定し、統計的手法を用いて分析することで、変更が実際に有意な改善をもたらしたかを客観的に判断できます。

すなわち、これは最も純粋な形での仮説検証(hypothesis testing)です。

Marvin における A/B テストの例

image5

私たちは、Marvin の2種類のレイアウトバージョンを比較するために A/B テストを実施しました。

参加者は、Marvin にすでに慣れているユーザーと、そうでないユーザーの2グループに分けられました。両方のグループがフローティングツールバー形式(バージョンB)を好むだろうと仮定しましたが、結果は異なり、実際にはもう一方のレイアウト(バージョンA)がより好まれることがわかりました。

生物物理学的手法としてのアイトラッキング

蛍光標識された薬剤が組織サンプル内のどこに集まるのかを調べるのと同じように、アイトラッキングはユーザーインターフェース上でユーザーの視線がどこに集中しているかを明らかにします。この手法は、ユーザーがどこを見ているのか、何を見逃しているのか、どこで迷っているのかといった情報を客観的・定量的データとして提供します。

いわば「視覚的注意を測定するプローブ」を用いるようなもので、デザインの明瞭さと訴求力を最大化するための最適化を可能にします。

高コンテンツスクリーニングとしての分析およびヒートマップ

HTS(ハイスループットスクリーニング)で膨大なデータを解析してパターンを見出すように、UXデザイナーも分析ツール(analytics)を使って数千人のユーザー行動を解析します。
ヒートマップは、ユーザーがどこをクリックし、どの部分でスクロールを止めるかを可視化することで、行動の傾向を全体的に把握できます。これにより、活動が集中している「ホットスポット」と、ほとんど注目されない「コールドスポット」を明確に特定できるのです。

Marvin における分析とヒートマップの活用の例

image6

Marvin の典型的な構造描画タスクにおいて、どの領域や機能が最も利用されていないかを特定するため、ヒートマップ分析を実施しました。

その結果、テンプレートライブラリツールが最も使用頻度の低い機能のひとつであることがわかりました。この分析結果に基づき、こうしたツールを左側のツールバー内で「まとめる」または「非表示にする」設計変更を行いました。この改善は、インターフェース上の不要な要素を減らし、頻繁に使用されるツールにアクセスしやすくする上で重要な意味を持っています。

科学者の使命:データとデザインに潜むバイアスへの向き合い方

あらゆる厳密な科学的探究には、データの歪みをもたらすバイアス(偏り)を特定し、抑えるための不断の意識と努力が求められます。研究者としての訓練の中で、あなたは結果の信頼性を確保するために「対照群」「盲検化」「客観的な測定」といった手法の重要性を徹底的に学んできたはずです。応用行動科学としてのUXもまた、実験結果を歪めうる認知バイアスという同じ問題に取り組んでいます。

以下では、こうしたバイアスが両者の世界でどのように現れるかを見ていきます。

バイアスの種類 化学・科学研究における影響 UXデザインにおける影響
確証バイアス(Confirmation bias) 自分の仮説を支持するデータばかりを探し、解釈し、記憶する傾向。たとえば、提案した反応機構を裏づける結果を強調し、対照実験で得られた矛盾するデータを軽視してしまう。 デザインを「検証」するのではなく「正当化」しようとしてしまう。たとえばインタビューで「新しい機能、使いやすかったですよね?」と誘導的に質問してしまい、ユーザーが同意せざるを得なくなり、歪んだデータが得られる。
観察者バイアス(Observer bias) 結果の判断に主観が入ると、期待が観測結果を左右してしまう。たとえば、Western blot の曖昧なバンドを「このタンパク質があるはず」と思い込み、陽性と解釈してしまう。 ユーザビリティテスト中に、モデレーターが無意識に「正しい操作」に導くようなサインを出したり、ユーザーの一瞬の迷いを「混乱」と誤解したりして、観察データを歪めてしまう。
虚偽の合意バイアス(False consensus bias) 自分の判断や選択が一般的だと過信する傾向。たとえば、自分が習熟した複雑な合成ステップを「簡単」と思い込み、他の研究者が再現できるように重要な細部を記録し忘れる。 熟練プログラマーのチームが初心者向けのUIを設計する際、自分たちが理解している専門用語や複雑な操作手順を初心者も理解できると思い込み、結果として使いづらい製品を生む。
ネガティビティ・バイアス(Negativity bias) 人間はネガティブな経験を過大評価しがち。たとえば、一度の反応失敗が十回の成功より強く印象に残り、有望な研究ルートを「小さな挫折」だけで放棄してしまう。 ユーザーはスムーズな操作よりも、苛立ちを感じた体験を強く記憶する。そのため、デザイナーが一部の「大きく報告された小さな不満」に注力しすぎ、実際にうまく機能している主要機能の改善を怠ることがある。
利用可能性バイアス(Availability bias) 思い出しやすい情報に依存して判断してしまう。たとえば、最適ではなくても「最近読んだ論文」に載っていた合成法を使ってしまい、より優れた既存法を見逃す。 サポート対応で得た印象的な1件のフィードバックだけをもとに、大きなデザイン変更を行ってしまう。分析データや大規模調査といった、より代表性のある情報を無視してしまう。

その対策は共通しています。すなわち、厳密な実験設計、可能な限りのブラインド化、オープンな質問の使用、仮説を否定する証拠の探索、そして発言よりも実際の行動観察を重視することです。

これは、知的誠実さ(intellectual honesty) に対する、両分野に共通する姿勢の表れです。

Marvin におけるネガティビティ・バイアス対策の例

私たちは clean-to-scaffold ユーザビリティテストで、複数の化学構造を共通のスキャフォールドに基づいて整列させる機能を評価しました。この機能は、関連する分子をより明確かつ一貫して可視化・比較できるように設計されています。

ネガティブバイアス(ユーザーが問題点に過度に注目してしまう傾向)の影響を減らすため、UMUX-Liteアンケートを導入しました。これにより、全体的な価値を反映した「使いやすさ」と「有用性」の評価を得ることができました。参加者は一部のユーザビリティ上の問題に遭遇しましたが、UMUX-Liteの結果では、clean-to-scaffold機能を価値があり、使いやすいと評価していました。そのため、軽微な不満に過剰反応せず、最も重大な問題の改善に集中しました。このアプローチにより、ユーザー満足度と製品改善の両立が可能になりました。

もしあなたも、科学ソフトウェアの未来を共に形づくりたいとお考えであれば、ぜひ私たちにお知らせください。

結論:厳密さへの共通した姿勢

この比較の目的は、化学の複雑さを単純化することではなく、UXデザインもまた科学的な厳密さを備えた学問分野であることを示すことにあります。試薬やアッセイの代わりにプロトタイプやユーザーテストを用いながらも、エビデンスに基づいた反復的改善という基本姿勢は共通しています。

化学者の思考――分析的、体系的、データ駆動型――は、この考え方にぴったり適しています。UXの背後にある科学を理解することで、自分のデジタルツールのより賢明なユーザーになるだけでなく、研究のコミュニケーション、プレゼンテーションの設計、新しいソフトウェアの共同開発など、自分の仕事にもこの問題解決の枠組みを適用できます。

複雑なシステムの中で最適な結果を追求することは、普遍的な科学的課題です。そのシステムが分子であれ、心であれ、厳密でエビデンスに基づく発見の原則は変わりません。

 

 

 

Andrea Turzo
執筆者:Andrea Turzo
UXリサーチャー Andreaは現在、ユーザーエクスペリエンスリサーチャーとして、化学構造描画に関するユーザーフィードバックの収集と分析を担当し、特にMarvinを開発するチームを含むChemaxon社内で重要なインサイトを共有しています。彼女は認知神経科学の修士号(MSc)と生物学の学士号(BSc)を取得しており、科学と研究のバックグラウンドを活かして、ユーザーのニーズと製品開発の橋渡しを行っています。その結果、Marvinが常にユーザー中心で進化し続けることを可能にしています。

一覧ページへ戻る

RELATED

関連記事はこちら

Contact

お問い合わせ

製薬・バイオテクノロジーのDXならパトコアにおまかせください